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2013年4月15日月曜日

いってらっしゃい。

  2013年4月9日、お兄ちゃんはNational Guard に入隊した。
奇しくも4月9日は、母が父との結婚を決めた日。
まさか、それから30年近い年月をへて息子が軍隊に入隊するなんて、あの日の母には想像もできなかったよ。

 日本の国公立大学への進学の道しか許されないご家庭と同じように、我が家もお兄ちゃんの進学に関しては悩みを抱えていた。それでもお兄ちゃんは自分の力で、地元の州立大学は教科書代に至るまで、すべて無償で進学できる道を確保した。でも、彼には彼なりの夢があって、私はどうして良いものなのか、母親としてここ数年は頭を抱える日々だった。

 アメリカの大学進学への費用は、どうしてこんなにも高額なのだろうと思う。もちろん彼が得たように、たくさんの奨学金は用意されている。
それをつかって、自分に用意された経済力に合うような大学を選べばよい、のだ。でも、「自分に与えられた経済力に合う大学」が行きたい大学であるとは限らない。

 我が家のような家庭では、いわゆるアイビー・リーグと称される私立大学への道は最初からなかった。それでも公立の大学であるなら、我が家のような経済力でも応援してあげられると、そう私は思っていた。
しかしお兄ちゃんが希望する大学は、地元の大学ではない。その場合、その州にすむ学生が優先であり、州外からの学生は授業料が2倍という壁ができる。
単純に計算して、4年間の授業料は2000万円以上であり、生活費を含めると、どれほど切り詰めても我が家には用意できる金額ではない。

 私は途方にくれた。
経済的に苦しい家庭、片親が育てている家庭にアメリカの福祉は手厚い。
しかし、私たちがどのような道を辿りながらこの国での礎を築いて来たか、今、現在の夫の給料からは読んではくれないのだ。
夫は30代半ばから、アメリカに新天地を求めた。
同じように、外国人としてこの国で後ろ盾も無くすべてを最初から築いた人なら、私たちがどのような暮らしをしてきたか、想像に難くないと思う。

 目の前に、自分の努力で手が届きそうな夢があるのに諦めさせる訳にはいかない。私は金策を模索した。家を売り、老後の蓄えに手を付ける、学生ローンを借りる。。。そんな手順を整えていた私に、お兄ちゃんは思わぬことを告げてきた。
「思わぬこと」ではない。
それは、私が一番恐れていたことだ。

 お母さん、そんな顔しないで。
お母さんが心配することはわかっているよ。
でも、大丈夫だよ。

 優しい顔をしながら、私に決意を伝えてくれる。
そんな、そんなことしなくていい。
お母さんがなんとかする、と泣く私にお兄ちゃんは言った。

 お母さん、現実をみなくてはいけないよ。
家にはあと、ふたりいるんだよ。
僕一人だったら、できるかもしれない。
でも、それと同じことをあとのふたりにもしてあげられるかい?

 私は言葉がなかった。
返す言葉が無い私に、お兄ちゃんは言った。

 おかあさん、僕にはね、ただで大学に行ける道がいっぱいあるんだよ。
だからね、これは僕にとっての贅沢なんだ。
だから、自分で払いたいんだよ。

 私は愚かに泣く母でありながらも、一方で、我が子ながらここまで決心するお兄ちゃんを本当にそのとき、心から偉いと思った。
かわいい子には旅をさせろということだよ。。。と、夫はまるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやいている。
彼が男児一生の仕事と思うことには、軍の経験は無駄ではない。
そこまで自分の将来を見据えて決心している彼に、もう私は何も言うことはできなかった。

 すべてを親子で決めて姑に伝えるとき、私は嫁して初めて、義母に叱られると思っていた。
お兄ちゃんが生まれてから18年、一度もかかさず彼が生まれた数字の日には必ず電話をくれる。
10月なら10月16日、11月なら11月16日。
お兄ちゃんは姑にとって初めての孫だ。分け隔てなく、どの孫にもあふれんばかりの愛情を注いでくれる義母だけど、お兄ちゃんの成長は、そのまま姑の祖母としての日々。
きっと、私と同じように取り乱してしまうのではないかと覚悟していた。

 しかし姑は違った。
私の話しを静かに聞いてくれていた義母は、すかさず言った。
信子さんの気持はよくわかる、でも、あの子の思うようにさせてあげなくてはいけない。
あとで後悔するようなことがあってはいけない。そこまで考えてすることなら、応援してあげなくてはいけないと。

 私は涙が出てしかたがなかった。
そして、それと同時に、義母はこういう思いで夫を育ててきたのだと、本当に心から感謝した。
 無謀なこと、大きな危険を伴うことに、身を挺して我が子を守ることが愛情であるのと同じように、どんな結果になろうとも、子を信じて、望むことに常に寄り添って応援してあげることも愛情だと姑をみていて思う。

 お兄ちゃんが望んだこの道も、とりかえしのつかない出来事が起きたら、このような愛情をしめした私を蔑む人もいるだろう。でも、私はその蔑みも甘んじて受けようとおもう。そして、そういうことがあったら、弱い私は自分の選択を後悔するだろう。だからこそ、いま、この思いをこうやって文章にのこしておこうと思うのだ。

 今朝早く、お兄ちゃんは一人旅にでかけた。
最終的に二つに絞った大学を訪れて、自分でどちらに行くか決めるという。
我が家にはアイビー・リーグという選択肢はなかったけれど、彼は自分ひとりの力で、パブリック・アイビーと呼ばれる複数の大学の合格通知を手に入れた。
本当に、晴れやかな、嬉しそうな顔で出かけて行った。

 これから彼は、希望する大学に通いながらアメリカ軍のROTCを受ける。
母はいつも、どんなときも「君死にたまふことなかれ」とおびえているだろう。
でも、今の母は、涙にくれた日の母とは違う。
 父親の背をみて育った君は、あの日、若かった母が見上げた父にそっくりだ。

 お母さんはね、あなたはきっとお父さんと同じように、努力を惜しむこと無く、自分の人生を切り開いていってくれるだろうと信じているよ。
いってらっしゃい。母はいつも、あなたを応援している。
あなたの祖母が、父を見守ってくれているようにね。