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2009年3月27日金曜日

ちょっと宣伝・・・


夫の従姉妹、オペラ歌手の吉原圭子が、面白い仕事をしたとメールをくれました。

Sony の新しい携帯電話のCMソングを歌っているのです。
TVCMをクリックしていただくと、映像をご覧いただけます。

圭子ちゃんは、私がお嫁に来た時はまだ音大受験を目指す高校生。夫が妹のようにかわいがっていた従姉妹で、私達の根津のアパートの常連客でもありました。
とっても華奢で、どこからあんな声が出るのか私には信じられません。

『それは美しい』『私はそれが好きだ』『輝かしい』・・・と、歌っているそうです。私には絶叫にしか聞こえないのですが・・・(笑)

2009年3月21日土曜日

Welcome












ボストンでも春を感じるようになってきました。


我が家のフキノトウもかわいい姿をみせてくれています。

2009年3月19日木曜日

縁の下の力持ち

 今日 姑から荷物が届きました。
私がこちらからネットで注文した『知多雪晒』
『ぬか袋』を作るのに、私が気に入って使っている晒木綿です。

ぬか袋を作り始めてから,ずっと実家の母が送ってくれた『知多雪晒』を使っていました.次男坊が生まれる時に おむつ用に母が送ってくれた晒木綿です。10反ほど送ってくれておむつを縫いました。それでも、さすがに10反は使い切らずに残っていたのです。

 晒木綿と言ってもいろいろ種類があって、生地の目の粗さがちがいます。あまり目の細かい晒では『ぬか袋』にした時に 糠がしみ出してこないのです。その点『知多雪晒』は目の粗さがちょうど良く,肌触りも良いので愛用しています。
でも、こちらで晒木綿を見つけることはできるかもしれませんが、銘柄までこだわって探すことはできません。
諦めようとした時に,もしかしてと思ってネットで探してみたら 扱っているお店を探し出すことができたのです。インターネットのありがたさをホント感じます。

 日本でしか手に入らない材料をこちらから注文すると、いつも神戸の姑のところに配達してもらいます。そうすると、姑がすぐにこちらに送ってくれるのです。
Studio Hyacinthはこんな家内工業?で成り立っています(笑)

 私の名刺の『風信子』の文字は姑が書いてくれました。
車を使わない姑が郵便局まで荷物を運ぶのを 私はいつも申し訳なく思っています。
でも姑は、いつも優しく私の夢を後押ししてくれているのです。
縁の下の力持ち・・・Hyacinth は こんな姑に守られて続いています。

2009年3月15日日曜日

Sweet Sixty

 おんぼろ我が家は1949年生まれ、もうすぐSweet Sixteen ならぬ Sweet Sixty を迎えます。100年を過ぎた住宅も珍しくはなく、築200 年を過ぎた家でもあたりまえで売買されるボストン界隈では古い中に入りませんが、いわゆるAntique 住宅ではない、単に古いお家です。

 この家を選んだのは、毎月のMortgageに四苦八苦しながらも、身の丈の価格であったことのみならず、「おかあさんがあんでくれたぼうし」とおなじ頃に読んでいた、「ちいさいおうち」の様な形が好きだったこと。そして、この1949年生まれというのも気に入った一つの大きな理由でした。

 私が結婚したとき、私達にはお金がありませんでした。それでも仕事場に近いところに住みたいと思って選んだ家は、6畳一間に3畳のお台所、そしてお風呂にお手洗いがついた小さな築40年の木造アパートでした。

 場所は東京都文京区の根津。谷根千と呼ばれて親しまれている下町の一角です。
夕方なると商店街は活気にあふれ、夜には角の食堂から三味線の音が漏れて、楽しそうに歌っているおじさん達、手作りのお味噌屋さん、お豆腐屋さん、佃煮屋さん、麺家のおばあちゃん、懐かしい顔が今でも思い出されます。

 その当時の日本は、まさにバブル景気の絶頂期。心ない地上げも横行し、まるで櫛の歯を折ったように土地が買われ、趣のある小さなお家が、鉛筆をたてたような細長いビルに変わっていくのを見ていました。
 ある日、夜中に夫と一緒に仕事から帰ってくると、途中で消防車とすれ違いました。別に気にも留めず家に帰ってくると、アパートの近くが水浸しです。なに事かと思ったら、すぐ近くの家が地上げの放火の被害にあっていたのでした。『知らぬが仏』とはこんな事と、びっくりしたことも今ではいい思い出です。

 そして、そんな古い小さなアパートでしたが、いつもたくさんの友人が集まってくれました。まだ私達も若く、夫も空手部の監督をしていた縁もあって、友人達は座るところもないほど集まってはいろいろな事を語りあっていきました。あまりにそんな機会が多いので、ある友人は「ドアに縄のれんでもつけたら?」と、笑っていたほどでした。
 今では皆、働き盛りを迎えいろいろな 分野で活躍しています。時々テレビでそれぞれの活躍が見れる事も、私の楽しみの一つになりました。

 この家が1949年に建てられたと知った時、私は何とも言えない縁を感じました。私達が楽しい時間を過ごしたあの古いアパートと同じ時に、アメリカで建てられた家だったからです。
 今年は還暦、あのアパートが残っているかどうか、今の私にはわかりません。

 高い天井、広いキッチン、お洒落なリビング。お友達の家に招かれて、それらを羨ましいと感じないと言ったら嘘になります。
 でも、『瑠璃の床もうらやまじ』 私にとってこの家は、まさに Payne が想ったような「埴生の宿」なのです。


2009年3月6日金曜日

干し大根


  Russo's は私が毎週必ず出かけるお店で、まさに我が家の野菜室。毎回ショッピングカートに山盛りの野菜を買ってきます。新鮮かつお値段も良心的で、アジア系の野菜が沢山そろっているのが魅力です。

 いつも必ずチェックするのは、少し痛み始めたお野菜を売るカート。

 
 例えば、今日はこれだけの大根を2ドルもかからずゲットできました。
 
こんな時は、切り干し大根にするか、丸いまま切って干し大根にするか・・・

 今日は干し大根にしました。ここのところ、雪はまだまだ融けませんが、日差しに春を感じます。

 干した大根は、おいしさがぎゅっとつまって、歯ごたえも楽しめるのです。お味噌汁に入れても、おでんの大根にしてもおいしいです。

 根雪はまだ融けそうにありません。
まだまだ、こんな温かなお料理が似合うNew Englandです。

2009年3月5日木曜日

Locks of Love

 今日は娘のお友達のお誕生日パーテイー。私の体調も戻り、久しぶりにお友達とおしゃべりが楽しめました。
今日はとても暖かで、春が来たようです。お友達の一人が髪をちょっと茶色に染めて、春らしい髪型に変えていました。
 こんな風に素敵に髪を切ったお友達が身近にあらわれると、すぐに髪を切りたい衝動に駆られるのですが、私はどうしても美容院が苦手なのです。
 前回髪を切ったのは娘が生まれてすぐの頃でしたので、もう3年近くものばしてしまいました。

 もう、どうしようもなく長くなったら、さすがに観念して美容師さんに切ってもらいます。そして、Locks of Love という団体に寄付するのが恒例になりました。



 病気などで髪を失い、カツラが必要になった子ども達の為に髪を集めている団体です。

 髪を送ってしばらくすると、写真のようなカードに私の名前を入れてお礼状が返って来ます。

 3年前、産後で随分髪の毛が薄くなり、白髪が驚くほどめだってきたので、こんな髪でも受け取ってもらえるのか心配になり問い合わせてみました。
すると、脱色したりしていないなら、どんな色の髪の毛でも受け付けるとのこと、それなら真っ白になっても協力できるわ・・・と、嬉しくなったものです。

 あるとき子ども達の小児科の先生と、このLocks of Love の話になりました。
 先生の甥御さんは髪を腰までのばして、ずっと三つ編みをしていたそうです。それなのに,大学を卒業する頃にばっさり切ってLocks of Love に寄付されたのだとか。
 様々な人の思いが集まる Locks of Love・・・今年は私も協力できるかもしれません。


あたりまえではない事


子ども達が通っている空手道場に、とっても素敵なラテン美人がいます。姪御さんのベビーシッターとして通っていて、練習の間よく私とお喋りしてくれる、明るくて気さくな人です。
 初めて会ったときには妊娠8ヶ月、そんなお腹に赤ちゃんがいるなんて信じられないくらいお洒落で、魅力的な人でした。
そして、お腹の赤ちゃんは男の子と、とっても嬉しそうに語ってくれていました。

 今年の一月、彼女は颯爽と車に乗り込みながら、「来週が予定日なのよ!」と。私は「今度会う時がまちきれないわ」そんな言葉を交わして別れました。

 今日、久しぶりに道場で彼女を見かけましたが、赤ちゃんと一緒ではありません。私はてっきり赤ちゃんをお家に置いてベビーシッターに来ていると思い「あなたの赤ちゃんはどこ?」と聞きました。彼女は携帯メールの手を止めて、深いため息をついたあと、生まれて4日の命だった事をおしえてくれました。私は言葉を失い、彼女を抱きしめることしかできませんでした。

 18年前の夏、私たち夫婦は大切な友達を事故で失いました。それ以来私は、あたりまえの事が全然あたりまえではないと、いつも感じるようになったのです。「いってきます」と言って家をでた家族が、「ただいま」と帰ってくる事のありがたさを感じない日はありません。
 友人は、我が家の食卓のそばでいつも見守ってくれています。写真の彼はいつまでも若いままです。
毎朝、私は彼にお水を供えて家族の一日の無事を祈ります。無宗教の我が家ですが、どうしてもやめられない日課になりました.
 

2009年3月2日月曜日

Welcome




 







 





 ボストンはここのところ暖かい日が続いています。雪も随分と融けました。
花壇の中に、かわいいHyacinth の芽をみつけました。
あんなに深い雪の中で、ちゃんと春はきていたのですね。
.....と、書いたのは昨日の朝です。

 それからまた雪が降っています。今日は吹雪で子ども達の学校もお休みです。もう、50センチ以上の積雪になりました。
 
 New England の春は、まだもう少しおあずけのようです。

2009年3月1日日曜日

岩波書店との往復書簡



先日の次男坊の帽子の一件がなんだか嬉しくて、懐かしい本をさがしてみました。



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岩波書店様

こんにちは、アメリカからメールしております。先日、息子が大事にしていた私が編んだ帽子をなくしてしまいました。その時の彼の嘆きぶりを想うとき、自分が幼い頃に読んだ[お母さんが編んでくれた帽子]という、確かスウェーデンのお話だったとおもうのですが、それを思い出しました。

確か貴社の絵本シリーズだったと記憶しているのですが、今でも刊行されているのでしょうか?
教えていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


吉原信子様

このたびはご投稿まことにありがとうございます。また、お返事がおそくなりましてまことに申し訳ございません。

ご質問にあった「おかあさんがあんでくれたぼうし」は、ご記憶の通り、岩波子どもの本というシリーズの中の一冊『おかあさんだいすき』に所収させています。
「おかあさんのたんじょう日」「おかあさんだいすき」の二つの話が一冊になっています。在庫もございます。

本の情報につきましては、以下をご覧ください。

以上お役に立ちましたら幸いです。

これからも岩波書店にご愛顧賜わりますようお願い申し上げます。

インターネット編集部


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と、すぐにお返事をいただきました。

  早速取り寄せてみると、初版は1954年、私が買った物は1995年の時点で41刷の版を重ねていました。色合いも、私が幼い時に読んだそのものです。仮名使いも懐かしい雰囲気ですが、何一つ変わってはいません。
時代は変わっても良い本を作りとどける、そんな老舗書店の心意気を感じてしまいました。

よく笑い話にするのですが、私の母は、娘の私もあきれるくらい不器用な人でした。このお話がこんなに私の心に残っていたのは、「おかあさんがあんでくれたぼうし」など、望むすべもなかった私の、憧れだったのかもしれません。